フルーツこぼれ話 PartU


テーブルの上のリンゴ Apple Company
Beatles と Steve Jobs の共通点は、若くして才能を認められた天才であることと、自分で作った会社の名前を Apple にしたこと。
世界中で人気者になったビートルズは、音楽共同体を夢見て自分達のレーベルを作った。会社の名前は apple、トレードマークは青リンゴ。そこで自分達のレコードを作るのはもちろん、映画やお気に入りのアーティストのプロデュースなんかも手懸けたりした。当時の自由奔放な様子はフィルムや写真の記録を観るとよく判る。ビートルズを取り囲むのはロックスターにデザイナー、映画監督、モデル、恋人、芸術家、たむろするグルーピーetc.。魅力的でかなり怪しい人達が出入りし、従業員にはタイムカードなんかなかったようだ。fab.4、なんて素敵な4人組!いいなこんな会社に勤めてみたかった。実際は経営なんて全然素人の4人だからすぐに会社は赤字だらけでうまくいかなくなってしまったのだけど。60年代、イギリスでのお話。最後に4人揃って演奏したのもロンドンのapple社の屋上でのこと。
70年代のカリフォルニアで若くしてお金のなかったスティーブ・ジョブスは、自宅のガレージにパーソナル・コンピューターの会社を作った。今に、コンピューターを一人が1台持つ時代が来ると信じていたから。会社の名前はapple。一口かじったレインボーカラーの縞々のリンゴがトレードマーク。そしてあっという間に大成功。もちろん技術革新あっての成功だけれど、この会社独特のちょっとしたユーモア感覚が実はカルトな人気の秘密かもしれない。 例えばネーミング。apple社のパソコン、Macシリーズの正式名称は、
Macintosh というが、これは日本でいえば紅玉やフジにあたる、アメリカではポピュラーなリンゴの品種。pipin(リンゴの種)という機種もあったりして、相当リンゴにこだわっていておかしい。「リンゴ社の紅玉はいかが? リンゴの種もあるよ。」 きっとジョブスは本気でコンピューターをリンゴみたいに親しみやすく、皆の手の届くような存在にしたかったんだと思う。

果物を愉しむ100の方法 柴田書店 より

洋梨 マルゲリット・マリーラ 梨の話あれこれ
和梨・日本における最も歴史の古い果物。弥生時代には栽培が始まり、「日本書紀」(720)には、「ナシ・クリを五穀の助けとする」と救荒作物として栽培を奨励していた。
日本のナシはもともと赤銅色をした赤ナシ系と青磁色の青ナシ系の2系統が九州から東北までの各地で栽培されてきた。明治26年に青ナシの「20世紀」が、明治27、8年に赤ナシの「長十郎」が発見されて以来、半世紀以上の間、2つのナシが日本梨の発展を支えてきたのだった。
長十郎は、川崎大師の近くにあった当麻 長十郎氏の赤ナシ園から突然変異によって生まれたもので、甘味が強いが果肉は硬めである。20世紀は、千葉県松戸の旧家、松戸 覚之助氏のゴミ捨て場から発見された。果皮はなめらかな青磁色で、果汁が豊富なうえ、口当たりが軟らかくさっぱりとした甘さがある。
西洋梨のなめらかな口当たりに対し、和梨のざらざらした食感を、西洋人は、「サンドペア」(砂をかんでいるような梨)と呼ぶことがある。
「桃・栗3年、柿8年、ミカンは9年で成りかかり、梅は酸いとて13年、梨の大馬鹿18年」という実生訓は、人間でも果物でも味のある一人前になるには時間がかかるという意味。最近では、梨も3年で実をつけるようになった。
西洋梨は、有史以前から食用とされており、エーゲ海文明時代の壁画、絵画、彫刻に残され、それを引き継いだギリシャ、ローマ時代には品種が増えた。ルネサンス時代の絵画にも多く登場するので、イタリア、フランス、ベルギー、ドイツ、イギリスなどで栽培が盛んになったのは中世に入ってからのようだ。アメリカには17世紀に移民によって伝わり、南米にも同時代に伝えられた。やがてイギリス人によってオーストラリア、ニュージーランドにも伝わり、西洋人のいるところには必ず西洋梨があるほどになった。
ヨーロッパでは西洋梨は、この世に存在する最も美しい果物として、その形は女神の乳房にたとえられ、芳しい果汁はビーナスの涙とも言われる。ちなみに pear にしずくがついて、真珠の pearl になったと言われる。
又、フランス最後の王妃、マリーアントワネットは大の洋梨好きで知られ、宮殿の庭に西洋梨の木を植えさせ、自ら自分好みの梨を採取したそうだ。
グルメのフランス人から自国の名をつけることを許された「ラ・フランス」。しかし、フランスには、ラ・フランスの木は残っていないそうだ。



フルーツ・カットと盛合わせのテクニック  柴田書店  参照